私が何故福祉の仕事に就いたのか

手紙、メール、SNS…数々の文章を書く機会においてマメとは言えなかった私がはてなブログを始めた時。奇しくもお題は「おじいちゃん・おばあちゃん」。

早逝の血筋の私には、生まれつきおじいちゃんおばあちゃんと呼べる存在が母方の祖父一人しかいなかった。
そんな境遇もあってか、祖父はとにかく孫に優しかった。隣県から我々が会いに行く日には前もって食べきれない程の菓子を用意し、欲しがるおもちゃを買い与えた。
両親からの愛情を受け取り辛い環境で育つ私にとっては、幼心に「欲しい物を与えてくれる人」以上に「全てを受け入れてくれるかけがえのない存在」であった。
そんな祖父も私が小学校低学年の時に突然亡くなった。妻に先立たれ、子供達が離れた環境で歳を重ね、古くも立派な住まいで一人で身の回りのことをこなす気高い人であった。
その気高さは、死後数週間が経ってからようやく近隣に異常を察知してもらうことができたという残酷な結果を招いてしまった。
私と違いマメに文を書いていた祖父の自宅からは、日々の体調の異変を記す日記が発見された。またそこには、通院の習慣の無かった祖父が何処に助けを求めれば良いのか困惑する文も見られていた。
私が小学生にして抱いたものは、悲しみ以上に何の恩返しも出来ずに祖父を逝かせてしまった後悔の念であった。
その頃より具体的な考えは無くとも、将来は何かしら高齢者の力になれる仕事に就くことを想い描くこととなった。
大人になり、介護職を経てソーシャルワークを生業とする様になった今、祖父の様な高齢者が出ないように奮闘する日々である。

祖父の死は、今でいう「孤独死」である。現代社会であれば、行政や各種見守りサービスの発展によりもう少し早く発見ないし、存命中に医療に繋ぐことが出来たであろう。

離れた所に大切なおじいちゃん、おばあちゃんがいる皆様へ。
コロナウィルスがはびこる今の世の中、直接会いに行くことは叶わないかもしれない。
でもこんな世の中だからこそ、小まめに電話やメールで連絡を取り合う新たな生活習慣を持って欲しい。
離れていても自分の顔を見せることが出来る便利な時代に生きているのだから。

「後悔先に立たず」

敬老の日に私が伝えたいことは、何とも切ない教訓である。

知りたいし、伝えたい

初めまして。angersamuraiと申します。

某県で生きる社会福祉士です。

日々生きていく中で人が抱える想いや疑問を知るために。また自身が持つ想いや情報を発信することで誰かの一助となればという考えでこのブログを始めました。

発信内容は社会福祉や介護に関することを主とするつもりですが、皆様のブログを通じて世の中へのアンテナを高めたいとも考えていますので、気になることについては積極的に関わっていきたいと考えています。

どうぞご贔屓に。